コメモラティブ作品

 

発足三十周年記念 
    合同句集 
       ~したまち~ 
            山歴下町句会 

  

 ◇前澤 宏光 

私の山暦入門は昭和五十九年(一九八四年)で、丁度山歴創刊五周年の年であった。 

その翌年の七月二十日、山歴下町句会が発足した。その時の模様は、平成九年に刊行した。 

『季語別合同句集 下町歳時記』の中で松田純栄さんが書いている。 

 山歴誌には「句会報」という欄が設けられているが、バックナンバーを拾ってみても、 

下町句会第一回の「句会報」は掲載されていない。昭和六十一年一月号の「句会報」欄に 

「下町・青杉合同吟行会(九月)」があって、二十二名の句が載っている。 

 同欄に単独で載るのは、昭和六十一年七月号の「下町句会(3月)」が初めてである。 

 以下が、それである。 

 終日の雨となりたる四温かな    嘉門 

 春寒の海鵜大きく羽ばたける    国久 

 鳥鳴ける谷津の干潟の夕霞    耕志 

 原宿のロダン群像春を呼ぶ     純栄 

 啓蟄の旅や女の顔輝く        竹子 

 春灯の駅より低し江東区       均 

 春光を手にすくってや峡の川    英男 

 鳥雲に夕刊のはや貼られたる   宏光 

 撮られゐる子は諸手あげ春薺   ひろし 

 老幹の漲る気骨梅白し        冬木 

 下町や竿竹売の声長閑        むめ 

 駿河富士山又山の遠霞       ゆき子 

  *俳号の冬木は現、一幹。 

  

『去年今年』   前澤 宏光 

同じ木の鴉啼きあふ秋旱 

梨実る畑いよいよ暗くして 

院長の診察待てば秋蚊出づ 

一位の実のぞいて通る谷戸の道 

朝来ると朝のかほして芒の穂 

あるだけの日に抜きん出て石蕗の花 

行く年の草を雲間の日が照らす 

雪来ればにはかに険し小鳥の目 

降り出して雪が青木の葉を濡らす 

青嵐賢とも愚とも石の貌 

亀島に亀はをらずよ草茂る 

見ひらいて蕊迷ひなし沙羅の花 

夾竹桃旅の始めも旅果ても 

雀らの藪をとび出す大暑かな 

雷雲が落花生畑暗くする 

埋立の海の風来る新松子 

人声のして新涼の女坂 

下町の秋空へ亀首のばす 

羽づくろふ鴨にやさしく波光る 

力士らは旅か銀杏の黄葉して 

朽ち船は朽ちるにまかせ蘆枯るる 

冬夕焼坂の名思ひ出せぬまま」 

数へ日の朝からひよの声飛べり 

冬萌や畦には畦の風吹いて 

寒の雨欅の幹をびしと打つ 

春寒し空に雲なく山もなく 

石垣の石は動かず迎春花 

春雲の一片窓に来て止まる 

やはらかく椿落ちたる伝法院 

葛ざくら橋詰近き小商ひ 

夏蝶の空のあるなり神田川 

橋脚を渦巻いてゆく梅雨の川 

柳橋地にとどかざる夏柳 

百日紅このごろふえしもの忘れ 

蒲の穂に土着のこゑを聞いてをり 

一山の音をしづめて滴れり 

水中花まはりは老いし者ばかり 

敗戦忌倒れしままの竹帚 

咲くほどにコスモスかるくなりにけり 

吾亦紅あそんでくるる姉はなし 

  

◇松田 純栄 

みちのくと聞けば、俳人なら誰しも芭蕉の『おくのほそ道』 

を思い浮かべることだろう。俳句を作り始めたころに、芭蕉が 

みちのくに旅立った深川に移り住んだ私は、いつの日か芭蕉の 

辿った道の全てを追体験したいという夢を抱いた。 

 そこへあの東日本大震災が発生した。私のみちのくへの旅は 

、悲惨な大震災で亡くられた人の鎮魂の思いを深めていった。被災 

地のいくつかを訪れたが、石巻、女川の凄絶な瓦礫の山が今も目に 

焼き付いている。カメラを向けることは出来なかった。大震災の三年後 

の陸前高田で瓦礫を固めた土から小さな日本たんぽぽが咲いているのを見つけ 

"自然"のもつ強さに感動を覚えた。 

 今春は釜石を訪れる予定だ。旧友たちと贈呈した八重桜の苗木が大きく育ち 

、今年は花が咲くという。釜石での、お花見を楽しみ、みちのくの人々の復興に 

かける真摯な姿に刺激を受けて帰ってきたいと思う。 

  

『みちのくへ』 松田純栄 

蒼穹へゆっさり揺るる滝桜 

花冷の三春駅発つ旅の朝 

放射能のことには触れず花曇 

被災地に振り風船を渡さるる 

五月晴契の松はゆるがざる 

青葉若葉多賀城跡に芭蕉句碑 

五月闇壺の碑覗き込む 

駐車場は瓦礫の山やあやめ咲く 

尋ね来し塩竃桜葉となりて 

天守閣より残雪の岩木山 

飛花落花津軽三味線昂ぶりて 

花びらに埋まる外濠桜色 

若者も津軽弁なりうららけし 

春寒や藩士の珈琲苦かりし 

梅雨夕焼鎮魂の鐘ならば搗く 

梅雨の蝶高くは飛ばず津波跡 

啄木の山啄木の川夏来たる 

松島の波はおだやか盆に入る 

五大堂に津波の跡や秋夕焼 

鎮魂の月上りくる瑞巌寺 

コスモスを供へし少女海を見ず 

二千戸の仮設住宅月照らす 

秋寂ぶや何想ふらむ翁像 

瓦礫また瓦礫の山や鰯雲 

春鷗奇跡の一本松を舞ひ 

立夏なる南三陸線に乗る 

瓦礫より日本たんぽぽ顔出して 

黄金週間田にも畑にも人の影 

みちのくの山影迫る植田かな 

金色堂へのぼる坂道濃山吹 

芭蕉句碑西行句碑へ散るさくら 

義経忌や霞のかかる衣川 

春愁ふ無量光院跡の佇ち 

花万朶みな新しき墓の群 

万緑の奥へ分け入る一輌車 

梅雨晴を縫ひ北リアス線走る 

三陸のロケ地に泊つる蛍の夜 

たちまちに海霧に巻かるる八戸線 

やませ吹く海猫かたまりて鳴きもせず 

山の湯を出ればうしろに雪女 

  

◇原 綾女 

私の住む両国は云わずと知れた相撲の町。武蔵の国と下総の国を結ぶ橋が両国橋。隅田川が滔々と流れる。その両国橋には土俵が四つ川にせり出している。原寸大という。欄干には 

角力軍配、国技館、力士幟がみつしりと描かれいる。又、川縁の欄干には角力の決まり手が延々と彫り込まれている。 

朝稽古を終えた小力士が背中や尻に砂をつけてコンビニで買物したりしている。遠くから来た人は初めて見て昂奮しきり。 

そんな彼らが地方場所等で居ないと、何となく淋しい。TVでは故北の湖親方のの葬儀のもようが映し出されている。 合掌。 

  

『相撲の街』       原 綾女 

淑気満つ簪飾る柳橋 

国技館の屋根にかかりし春の雲 

船人となりて隅田の花惜しむ 

国技館の屋根洗ひゆく春時雨 

初場所や鎧のやうな湿布して 

ビール干す相撲仕立の居酒屋に 

鬢付けの匂ふ力士や梅雨の橋 

橋長し漢もすなり黒日傘 

夏料理並べて下る屋形船 

梅雨晴間川のテラスの遊歩道 

梅雨しとど両国橋の土俵模様 

相撲甚句流る駅舎の薄暑かな 

すれ違ひ鬢付匂ふ薄暑かな 

自転車の力士浴衣の前はだけ 

大判屋大きすててこ広げ売る 

  

相撲文字で書かる駅名夕薄暑 

ベランダにまわしを干すや相撲部屋 

相撲客混み合ふ駅舎扇子舞ふ 

青葉風千秋楽のパレードに 

式守家の塀に青蔦這ひ茂る 

両国橋土俵を模した露台かな 

力士像蹲踞の尻に夏日濃し 

流れ来る相撲甚句や冷奴 

行き逢ひし優勝パレード月も賞づ 

欄干に酔ひを預けし良夜かな 

欄干に相撲決め手や秋の風 

秋場所の力士と並び針治療 

欄干の軍配模様葉月潮 

千秋楽相撲櫓に鰯雲 

欄干に凭れて覗く小春凪 

小春凪船につきくる鳥の影 

冬落暉隅田の凪を輝かす 

大川の流れ閑かや都鳥 

境内の土俵彩る冬紅葉 

総武線徐行で見せる揚花火 

舟二艘跨ぐ足場や松手入 

水路より上る庭園菊日和 

隅田川流れ閑かに鳥帰る 

頬火照るまで真向ひぬ冬夕焼 

残る世を洒脱に生きむ返り花 

  

◇渋谷麻紗 

 私が山暦に入会したのは平成三年である。子育てに一区切りがつき仕事も軌道に乗ったので、「自分のための学び」を考えて俳句を選んだ。短詩の持つ歯切れの良さとリズムに魅せられたからである。 

とはいえ、俳句は一度も作ったことはなかった。仕事がオフの火曜日、山暦主宰の青柳志解樹先生のの荻窪俳句教室に入ることができ、私の俳句が始まった。青柳先生との出合いに感謝である。 

半年後に青杉句会を紹介され、今は鬼籍に入られている諸先輩から句会のルールや楽しさを学んだ。数年後、夫の遺志を継いだ家業が忙しく青杉句会に通えなくなり、土曜日の仕事の帰りに間に合う下町句会にお世話になった。それから十年ほど経つ。 

下町句会はベテラン揃い。ミニ吟行や句会後の飲み会で二次が行われるなど、学ぶことが多く休まないよう心がけている。そして、俳句を作るたびに日本人の感性の豊かさと言葉の美しさに感嘆させられる。 

 今後も無理せずに続けていきたいと思う。 

『夢一字』 渋谷 麻紗 

天の川開拓村の更けてより 

一片の雲なき都心望の月 

高階の一室ごとの秋灯 

芒原よりはっきりと風の筋 

指宿や卯波の打ちし大礁 

鷹揚に揺れて古刹の夕牡丹 

塩山や朝餉の窓の五月富士 

梅雨晴や草津に古希の同窓会 

我妻線滴る山を両窓に 

山墓に渡る木橋や青胡桃 

ブーゲンビリア高だか薩摩一宮 

底紅の一花活けらる茶室かな 

殉教の島や蛍の飛び交へる 

旅先の蜩をきく夕べかな 

夢一字彫られし夫の墓洗ふ 

青空の広がる都心今朝の秋 

前山へなびく芒の光かな 

太極拳初冠雪の富士を見て 

石蕗咲くや小舟の舫ふ佃島 

黄葉散る台座の大き鰹塚 

娘婿冬至南瓜を煮て来たる 

湾岸の夜景眺むるクリスマス 

風花や伊勢神宮を出でしより 

開店の祝ひの花へ北風強し 

寒紅をさして和解に応じけり 

神鈴の山に響くや冴返る 

冬麗や上野に聞きし時の鐘 

外国語背に受け詣づ彼岸寺 

急流に乗りたる宇治の花筏 

国宝の塔へ朝の花吹雪 

西の京さまよひ春を惜しみけり 

山墓を朝より濡らす余花の雨 

さざ波の寄する五月の光のせ 

花街の名残の路地立葵 

下町の火伏神社や梅雨湿り 

風なくて竹の葉の舞ふ夫の墓 

甚平がシャッター上ぐる古書の店 

河童忌や太き雨打つ神田川 

猪独活やの花や山の日ちりばめて 

盆過ぎの川の音きく故郷かな 

  

◇原 盛人 

平成二十三年より五年間三百句のうちからしぼった。 

山暦の会員なので植物の句が多いのは当然であるが、とにかく作句はむずかしいの一言につきる。 

高尾山の句が多いのはガイドをしているから仕方あるまい。八王子に住んで四十五年身体も家もがたが来ているが、頭はがたがたが来ないように、のんびりと急ぐな急ぐなの心境である。  

  

『山気満つ』  原 盛人 

寒葵寄りそふものの何もなし 

寒月下青白くなる杉木立 

霧籠めのむささびの巣や修験山 

山城の雪しづる杉鴉翔つ 

遠富士や風に鳴りをる冬柏 

氷つく菜っ葉や昭和はるかなる 

ケーブルを降りるや青き保与の毬 

シモバシラの花や高尾の修験道 

海苔篊の東京湾の入日かな 

冬の朝赤松へ日の語りくる 

ゆれやまず光と影の節分草 

山気満つ城跡に咲く山桜 

多摩川の小鷺舞ひたつ春の色 

花茱萸にかそけく聴くや山の声 

桜鯛行きつ戻りつして買ひぬ 

小流れを堰きとめてゐる柳絮かな 

料峭やしだれ青松石を噛む 

むしかりの花淵泉に影写し 

陽炎や大した過去はあらざりき 

祖母の肩たたきて八十八夜かな 

蜂の子を食みし信州小僧かな 

ほうたるやほたる饅頭ほたる豆 

ひと電車遅らす駅に桐の花 

ひよどり草の浅黄斑蝶を離さずに 

大瑠璃の今日も来て鳴く高尾山 

雨晴れて風新しき樟若葉 

一面の代田や父のありしころ 

瓜の木の花のもとにはゆかし風 

がま口に似た蚕豆をひとつかみ 

朝露の浅間風露に日があたる 

兄弟で兄の迎え火焚きにけり 

朴落葉して山々の見えて来し 

点々と山羊の草食む花野かな 

白雲木の実を拾ひけり月見寺 

真弓の実はじけ裏門表門 

葛引くや昔の山羊の声つれて 

点々と山羊の草喰む花野かな 

真弓の実はじけ裏門表門 

岩峰を霧のぼりくる駒ヶ岳 

竹箒たてかけてあり銀杏かな 

紅しだれ祖先返りの山紅葉 

落栗や一人拾えば皆拾ふ 

多羅葉の実をふところに初句会 

入母屋の上に花火や年行けり 

  

◇一木 一木 

俳句には、知的生活を長く続けていくためのエッセンスが 

詰まっている。俳句をやる人の寿命は一般の人より約十年長いと 

云われている、とのことだそうである。 

 詩は、青春の花。これは、もっとも早い段階で完成するようです。 

花が開花し、華やかさがある。 

 それに引き比べて、短歌や俳句はそうではなく、派手さはなく滋味 

とか幽玄の世界が広がり、昇華していくと、外山滋比古は人生の整理学 

の中で述べている。 

 俳人には老作家が多く、枯淡の境地になっている。芭蕉とか一茶の他、 

老境になっても活躍し名を残している人が多い。 

 勿論そこまでいかないものの、周囲の助力もあり、私は老年になり俳句を 

始めましたが、人生の心の整理をしていこうと俳句の世界に片足を入れました。 

どこまでいけるかな。 

  

『野馬道』  一木 一木 

月照らす主なき部屋の車椅子 

ビルの様な船の入港冬木入日 

蝉しぐれ独り占めする微笑仏 

冬隣秋田訛りに仲間入り 

木苺を一粒口に谷戸の径 

陸揚げの船に注連縄飾り付け 

春光や蓬莱島にさざ波す 

一筋の飛行機雲や冬初め 

品川寺の大仏猫背東風 

野馬道の神旗めざせし騎馬の群れ 

短日や鳥海山の影長し 

立春や大工棟梁棟に立つ 

手作りの味噌玉つくる夫婦かな 

噴水の空を押し上げそれっきり 

山麓に灯の帯続く富士登山 

秋冷の酒蔵続く出羽の道 

啓蟄や新線の載る時刻表 

問屋街の大き値札や春疾風 

花冷えや睨み利かせる阿吽像 

枝豆やガラス戸叩く宵の雨 

黄落の色重なりて山下る 

清水湧く三川の源や甲武信岳 

啄木忌青い列車の北斗星 

夕映えの窓に一匹紙幟 

白雨来る富岡製糸の赤レンガ 

隼の道案内や経ヶ岬 

酒好きの系に連なり穴惑い 

小春日の佃飛び交ふ都鳥 

鬼瓦秩父空っ風向かひ建つ 

喪の知らせ年々増えて年の暮 

初御籤吉凶分かれ夫婦かな 

道後湯の明治の小窓燕飛ぶ 

花開く韓国舞の笛の音 

鶺鴒の三段跳びや風光る 

岩燕尾瀬の山小屋一閃す 

早池峰は薄雪草の登山道 

陸奥の潮風受くる青田道 

早池峰の神楽の舞や紅芙蓉 

万座越え雲湧き立ちて夕立来る 

切西瓜子供の顔を吞みこんで 

  

◇萩庭 一幹 

時代の波もあって、俳句人口は数を減らしているのが現状である。そのなかで、 

『自然を尊び、自然に学ぶ』の山暦俳句会の理念に感銘し同調して来た面々の 

意気と情熱は冷めることなく今日に至っている、その年数は三十五年にも届く。 

もとより、俳句の才能などあるべくもないが、作り続ける気概は持ちたいものと 

おもっている。いつか啓示を受けて一句を授かることもあろうと自分自身に期待 

している。仲間の佳句に出合うのも楽しみである。俳句は共感の文芸であり、仲間 

無しでは成り立たない。句会は己の後姿を見て背を正す合わせ鏡のような役割を果たす 

ものなのである。吟行会は小さな旅の感覚をもちながら、それぞれの個性を発揮する 

楽しさがある。 

兎に角作り続けよう。歩こう。 

  

『草木寄せ』萩庭 一幹 

長き夢見続けて来し冬苺 

下町は日向大事に菫草 

芽柳に潮入の風触れてゆき 

小鮒草掛け捨てられし丸木橋 

散りてなお夢見ここちや木瓜の花 

磯菊の径の果てなる海鵜の巣 

野蒜摘む母の背さらに丸くして 

弥陀の背に呆けてをりぬ猫柳 

花人も船人も手を振り合へり 

花韮の冷えに聖者の胸薄し 

辰雄忌や草ロゼットに聖書置き 

接骨木のぶっきらぼうや芽吹前 

桐に花神田囃子をさらふ頃 

たかんなの朝日へ水を噴き上げり 

明るさの中の明るさ花水木 

小鳥らの輪唱賛歌ははそ萌ゆ 

梅の実も乗せ園丁の猫車 

起き抜けに母の摘み来し茗荷の子 

一雨をくぐり抜け来し鬼灯市 

花胡桃遠き日の嶺今日の嶺 

西瓜島立てて売らるる地蔵盆 

青葡萄書棚にイソップ物語 

蚕豆の花や一村がらんどう 

ゆっくりと水の昏れゆく百日紅 

昔日の光ありけり百日紅 

ネーブルに爪立蒼き闇匂ふ 

水を分け風を分けたる芒かな 

蒲の穂の微塵の風に崩れけり 

穂孕みの風の中なる村芝居 

鬩ぎ合ふ島の芒と泡立草 

萩の風父の懐深かりし 

曼珠沙華上野に戦ありしかな 

唐辛子干すや日の濃き翁道 

亀島に舟を預けて松手入 

実柘榴や角無き鬼を祀りけり 

大枯野目つぶりゐても枯野かな 

枯れ山に入りて棒持つ子供たち 

万両の一粒ずつの光かな 

寒萌や漢詩素読の声聞こゆ 

木枯らしや枝を打ち合ふ樫欅